森田智子 自伝 その2
<三十一歳> 2007年 11月
2度目の海外旅行 Austria&Germany ...Vienna/salzburg の旅
ここでの目的は、大好きなMOZART,BEETHOVEN 他、名だたる巨匠達が眠る「中央墓地」
映画「第三の男」のラストシーンで有名な場所。
もの凄く広くて、見当もつかず、迷いながらフラフラ歩いていると、導かれるように、目の前に
「MOZART]の文字。
ハッとして辺りを見回すと、MOZART,BEETHOVEN,SCHUBERTのお墓が三角形に
並べられ、その奥にはJOHANN STRAUSが!! 鳥肌モンですよ(笑)
凄すぎる=
早朝なのをいいことに、思いっきり大声で歌ってしまった。
震えていつものアメイジング・グレイスしか出て来ない。
「喜びの歌」とか「キラキラ星」とか「シューベルトの子守唄」とか、なんで思い出さなかったんだろ(笑)
巨匠達はきっとビックリしただろうな。
お墓の下で怒ってたかも。
数人の観光客が、不審者を見るように通りすぎて行く。
どうもご迷惑おかけしました。(笑)
楽友協会で聴いた、ウィーン・フィルの「展覧会の絵」も一生忘れない。
そして駅で出逢った「流し」のおじさん。
ハダカのままのギターを抱えて、誰に聴かせるでもなく、暇つぶしとばかりに
淡々と異国の歌を唄いだす。
やたらうまくて人が集まり出す。仲間に呼ばれて颯爽と去ってゆく。
それはそれは素敵だった。
孤独を受け入れる強さを持つものだけに与えられる「自由」という切符、そして真実の仲間。
あんな生き方、憧れるなぁ・・・。
海外の文化に触れると、益々自国の文化を見つめないわけにはいかなくなる。
私は益々「日本」へとのめり込んでいった。
<三十二歳> 2008年
5月 記念すべき第一回バースデイワンマンライブ
今思えばよく二時間近くもやったよ=
とにかく死に物狂いだったっけ・・・。
あの「しっちゃかめっちゃかライブ」に来てくださった方、本当に感謝しています!!
一応「日本」をコンセプトしてたんだけど、ドタバタなライブだったなぁ・・・。
6月 胃腸炎がものすごいことになり、入院。
7月いっぱい実家で過ごした。
厄年だったしね〜。
8月 帰京した後、バイトに戻り、なんとか立ち直ろうと頑張る日々。
9月 「たまに唄ってる時、神がかって見える」との誰かの言葉を真に受けて、
うっすら巫女を意識して、音楽活動を再開する。
10月 ジョン ゾーン考案、「コブラ」なるものを見て、即興の世界を垣間見る。
11月 即興セッションに積極的に参加してみる。
不思議な音と日本独特の神々の世界とを融合出来ないか、実験を始める。
12月 初めて巫女の衣装を着けてライブをする。
<三十三歳> 2009年 5月
「日本を表現」って一口に言ったって、私一人じゃ限られてる。
日本だけではなく、一つの国には沢山の問題があって、闇も光も同時に抱えてる。
私は、日本の自然の中で育ってきた。だからこそ、日本の景色には
八百万の神々が宿ることを知っている。
この身体で「日本」を体現したい。
こんな思いを抱えながら、2度目の実験ライブ(笑)「詩・演・人」を行う。
巫女、天狗、鬼、龍神、海神などなど。
日本ってやっぱりいーなー!と実感。
とんでもなく賛否両論でしたが(笑)やれて良かった!
皆さん、ありがとう!!
自分の国を愛せなければ、他の国も愛せない。
実はとってもシンプルなことなのかもしれないね。
私の旅はまだまだ始まったばかりだ。。
2009年 6月 森田 智子
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